2016-09-17

「ゼロ✦プラ」へようこそ。
ここは、いおろが2000年から2005年までの書き綴りを残したブログです。

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2005-12-22

サンタの仕業




「クリスマスには何が欲しい?」
そう訊かれても、欲しい物など浮かばない。
子どもの頃からそうだった。

「クリスマスに何が欲しいの?」
「うーん……」
考えてはみるものの欲しい物が出てこない。
そりゃあ、オモチャ屋さんやデパートに行けば、そそられる物はいくらでもあっただろう。だけど、あらためて「欲しい物」を尋ねられて思い浮かばないのなら、それらはあってもなくても、どーでもいい物に違いない。

クリスマスの朝、「欲しい物」が分からない娘の枕元には、それなりに喜ぶプレゼントが二つ置いてあった。
父親から一つ、母親から一つ。

幼稚園にあがる前から、二つのプレゼントはサンタクロースが持ってきたのではないことは分かっていた。
父も母も、それらが「自分たちからのプレゼント」とは言わなかったし、「サンタさんから」とも言わなかったが。
一度、「どっちがお父さんので、どっちがお母さんの?」と尋ねたことがある。
母の返事は、ぼやけ過ぎていて言葉の欠片も思い出せないほど、うやむやだった。

今にして思えば野暮な質問をしたものだ。
両親が贈ってくれた物ではあるけれど、サンタさんが直接プレゼントを持ってきたのではないにしろ、それらは「クリスマスがくれるプレゼント」なのだ。

小学校にあがる前の年も、母はお約束のように尋ねた。
「クリスマスには何が欲しい?」

「妹!」
この年は、間髪いれずにはっきりと答えた。考える間もなく口から出た。
その頃、なかなか届かない荷物を「まだあ?」とせがむように、“妹、妹”と思っていた記憶がある。

クリスマスの朝、目が覚めると、枕元にはピンクに頬を染めた薔薇の花のような赤ん坊が置かれていた。
ということはなく、例年通り二つのプレゼントが置いてあった。
包みを開けると、中から赤ん坊が!ということもなかった。

だが、翌年のクリスマス、待ち望んだプレゼントは、ちゃんと身近に届けられていた。
「お姉ちゃんになるんだよ」
母からそう告げられたのは、クリスマス・ソングがあちこちに溢れ出すちょっと前のことだったと思うが、わたしの頭の中では、早々とジングルベルが鳴り始めていた。
「男の子か女の子か、まだ分からない」と母は言ったけれど、わたしには“妹”としか考えられなかった。考えるまでもなく“妹”に決まっていたのだ。その証拠に、妹がいる。

枕元にプレゼントという儀式がなくなったのは、妹が生まれた年からだったかもしれない。
プレゼントは何かしらあったと思うが、もらった物の記憶はない。

妹は、わたしが初めて知った「サンタの仕業」である。
「クリスマスがくれたプレゼント」というわけだ。

「クリスマスに何が欲しい?」
そう訊かれても、特別に欲しい物は思い浮かばない。
ただ、わたしがクリスマスに心躍らせるのは、この時期、予期せぬ出来事がやってくると信じているからだ。
「サンタの仕業」と思わせる出来事。
サンタにせがんだりはしないけれど、起こってみれば、心のどこかで望んでいたことを知る。


 

2005-11-30

腹の虫



腹の虫が治まらないと腹の虫は鳴くのを忘れる。
腹が居るには、腹が癒えるようにせねばなるまい。
腹を読むことを覚えぬ相手に理解は請わず、 腹を据えて為すべきことのみ伝えるがいい。
腹に仕舞うなら、あとあと腹かくものかと腹を括る。
いずれにしても腹に持つことのないよう腹に落ちるようにすることだ。

腹の虫に対処しておかねば、一匹、二匹、三匹と 居座る虫で腹が脹れるばかりか腹悪しくなり、 心身ともに良くないうえに次の縁まで悪くする。
腹を合わす相手すら遠ざけてしまわぬよう、いっとき腹の虫と付き合うがいい。

自分の腹は自分にしか治められない。
だから、誰のものでもない腹の虫を無視しちゃならない。
そうすりゃ、意外と腹から立って治まりつかないでもない腹の虫。

正体を見抜けなかった愚かさと、あらぬ期待に腹合わすことの叶わぬ落胆を知らしめ、己が精進のために引き寄せた縁。
善人ぶって分かったように「この縁に感謝」などと自分の腹に偽れば、得るところなく再び事を仕損ずる。
形を変えて、再び同じように腹が煮える。

掬えぬ縁を己が意識から締め出す前に、嗅ぎ損じた臭いを嗅覚に焼き付けよう。
縁が落とした不愉快の実を、食って血肉にすると腹ができれば拳も開く。
掬えぬ縁は掬わぬと、天に返すがごとく高く手放し、腹から一呼吸。
気がつけば腹が減ったと虫が鳴く。


たまに怒ってみると、本当に腹に虫がいることが分かるから面白い。
心中を腹で感じることを改めて体感してみる。
すでに腹は癒え、出来事は過去になった。



 

2005-11-11

橋を渡る



通らなくてよかった道は、ひとつもない。
渡らずに済ませることができた橋も、ひとつもない。
進む道はあっても、後戻りできる道はない。

ややこしい道の終りが見えるとき、 私は、いつも笑ってる。

終わりに向かう今となれば、
ここまで来たことが、微笑ましいかぎり。




 

2005-09-28

生き急ぎ




「ご飯も何も要らないから、
やるべきことをさっさと終えて、
あたしはすべてを終わらせたいよ」

表情のない言葉を落とす、
彼女に悪魔は紳士を気取り、
そっと背後から顔を近づけ、
「またか」の溜息のあとに囁いた。

「そう都合よくはいかないよ」

振り向きかけた彼女の視界に、
時代遅れにお洒落ぶる、
白黒コンビの靴がちらりと映り、
悪魔はふわっと頭を撫でて
彼女を眠りに落として消えた。

どれほど眠ったか、夜は明けきらず、
目覚めた彼女は薄暗い部屋の
冷えたつま先をソファの上で
重ねあわせて身震い一つ、
今度は願うように天使に言った。

「ご飯も何も要らないから、
やるべきことをさっさと終えて、あたしはすべてを終わらせたいよ」

老けた赤ん坊顔のパーツを変えず、
天使はゆっくり小首を傾げ、
やおら、くるりと背を向ける。
ヴォリュームのある白い翼をひと羽ばたき、
彼女の顔を、ばさりと風で殴りつけた。

「生き急ぐなら、さっさとやりな」

幽かに響く捨てゼリフ、 光も残さず天使は消えた。

やらないうちから生き急ぎ。
「さっさと終わらせたい」なんて拗ね台詞。
1ミリでも、いや1センチ、
せめて今日、10センチを目指して進みたい。
本当のところは1メートル。

肩を落としていても、
本当のところは
光を掴みたい。