2005-03-10

歓迎されない客



夕刻、突然に彼はやって来た。
ひとつきほど前にも、こちらが忙しいさなかに彼は現れ、ひとしきり一方的に自分の話をして帰っていった。
「これから来客があるから」と言って引きあげてもらったのだが。
そうして今日は、 「この間は忙しいときにいきなり邪魔をしたので、そのお詫びに寄った」と、やはりいきなりやって来た。

彼は僕の友人ではない。仕事のパートナーであるYの学生時代の友人の一人だ。
だから、僕に会いに来たのではないのだが、Yが留守だと必然的に相手をするのは僕になる。
「Yは出かけていて、戻りが遅くなる」
そう伝えても意味を成さず、打ち合わせ用のテーブルを居場所に彼は話し始める。

彼にとって相手はYでなくてもよいのかもしれない。そうであれば、もちろん僕でなくても構わない。
Yにしろ僕にしろ、相手をするといっても自分の机でパソコンの画面に向かったまま、「へぇ」とか「ほぉ」とか、たまに「なるほど」と平坦な合いの手を入れる程度のことである。
だが、むしろ、この作法が彼にとっては好都合なのだろう。

彼の中に不安がある。
どうしてよいかわからぬ正体不明の不安を抱えて、彼は長いこと右往左往しながら生きてきた。抱え込み、年々肥大化する不安を上回ろうとするかのように大声でしゃべり、ホラを膨らませ、独りで大袈裟な馬鹿笑いをする。
かと思えば、
「こんな話は知らないだろうけどさ」
と、知るひとぞ知るらしき裏話を繰り広げ、世の中を知ったように日本の未来を憂い、体制を嘆き、
「このままじゃダメだ、みんな大変なことになる」と結論づける。

知らないよ、そんな話。

このままじゃダメなのは彼自身で、このままじゃ大変なことになると思っているのも彼自身なのだ。
そのことは、友人であるYが何度か彼に話しているが、真実は彼の心に届かない。
本当は届いているのだが、彼自身が届いたことにしないだけなのだと、僕は密かに思っている。受け入れるには、これまでが長過ぎたのだ。
「すべてを受け入れて清算しちまえよ」
Yも僕も、そう願ってはいるが、この願いは受け入れられないまま、今日も先の見えない淋しがり屋はホラ吹きに転じようとしていた。

僕は、彼の話に相槌を打ちながら携帯でYにメールを打った。
「彼が来てる。無言でいいから電話を鳴らせ」
数分後、仕事場の電話が鳴った。
Yは電話に出られる状況になかったので、無言の受話器に向かって僕は一人芝居を打った。
「わかりました。今すぐ、伺います」

始まりかけていたホラ話は打ち切られた。
「悪いね。出かけなければならなくなったので……」
僕がそう言うと、 彼は「僕も出たほうがいいの?」と訊ねる。
「当たり前だ!」と言う代わりに、
「そうだね、そうしてくれる。いつ戻れるかわからないし」と答えた。

「話を聞いてくれる人が欲しくてさ……」
そう言い残して、彼はドアを出て行った。
この言葉だけはホラじゃない。それどころか正直過ぎて、そこまで素直に寂しさをこぼすヤツには、めったにお目にかかれるものではない。

彼を心の底から嫌っているわけじゃない。
馬鹿笑いをしているときとは対照的に影の薄い痩せた背中を見送った。

歓迎してやりたくもあるが、君の話は嘘が多くて寂し過ぎる。

声を張り上げるほどに、 君は君でなくなる。
ホラが大きくなるほどに、
君は自分を置き去りにして、
その虚しさを、誰かの胸に刻み込もうとする。

その手は桑名の焼き蛤だ!