2005-08-03

夢 「月の道」



ここ数年、ほとんど夢を見ない。
眠りのメカニズムからすれば、夢を見ていないのではなく覚えていないだけなのだろうが、ひょっとしたら、レム睡眠(浅い睡眠状態)を飛ばして、いきなり熟睡(ノンレム睡眠)に落ち、睡眠の欲求を満たすと目が覚めるというパターンを繰り返しているのではないかと疑うほどだ。

今年になって覚えている夢といえば、1月の末に見た元同僚・Mの夢である。
数年、会ってもいないのに彼は夢に現れ、何か切々とわたしに向かって語っていた。 彼の声も言葉も聞き取れなかったが、誰かが病気だと伝えているようだった。

そこで翌日、別の元同僚Oちゃんに「Mが夢に出てきた」とメールを出してみた。すると、彼はすでに退院していたものの体調不良であったこと、近々、中国へ海外駐在に出る予定だということがわかった。
夢のおかげで、Mとはメールでお互い近況報告をする機会につながり、彼が今のわたしの状況をとても喜んでいることを知って、えらく励みになったものだ。

以前は、よく夢を見た。
夢を見るのが楽しみで、ベッドに入るときは「さあ、夢よ来い!」と大の字になって待ち構える。
それは、「意識の上映会」のリクライニングシートに埋もれ、内なる別世界へ導かれるようだった。

夢が仕事や人間関係のヒントを与えてくれることは、よくあることだ。
先行きの道標のように方向を示してくれる。
意外な出来事が自分の身に起こる前のワンクッションになって、精神的に救われたことも度々あった。

大スペクタクルな夢は映画を観る以上に楽しめたものだ。
プラネタリウムのような満天の星空を見上げていると、にわかに白鳥座が大きな鳥の姿に変わって羽ばたく夢。
龍の背中にしがみつき、荒川を猛スピードでのぼる夢もあった。
 (埼玉県内を流れて東京湾に注ぐ、あの荒川である。)
でかい宇宙船が窓にぐんぐんと近づいてきて、部屋じゅうを真っ白な光で照らし、思わずタオルケットをかぶって身を隠したところで目が覚めるということもあった。
 あれは、映画「未知との遭遇」を超えるほどの映像体感だった。

この手の夢を、心理的にどうのうこうの言ってほしくない。夢の持ち主は、自分が創造する夢に感動するに留まらず、「昨日、こんな夢を見ちゃってさあ」と自慢げに話しては別次元の体感を甦らせ、有頂天にはしゃいで幸せなのだから。
最近は、人から「こんな夢を見た」、「昨日の夢は不思議だった」、などと聞かされるたびに悔しい思いをしている。

さっぱり夢を覚えていない日々を恨めしく思いながら、何となくパソコンに向かってお絵描きをする。できあがったのは満月の図。

夢を見ない、覚えていない代わりに描いた「月の道」は、
歩くとザクザクと金銀宝石の屑を踏みしめる音がするのだよ。