2005-06-11

足にまかせて





早朝5時、雨があがりに、ひとり散歩に出る。

千鳥が淵あたりへ行ってみようかと仕事場を出たが、足は靖国通りへ向かった。
この通りは眠らない。
夜中はタクシー、早朝はトラックが行き交い、車の走る音が途絶えることがない。 ところが、通り沿いの靖国神社の境内に走音は届いてこない。それどころか、内と外では空気がまるで違う。

最近、花を見て歩くより木を求めて歩きたいようだ。
自分のことを「何々したいようだ」というのは、おかしな表現かもしれないが、大概、人は自分の欲していることが認識できていないものだ。
「これこれがしたい」と口に出すからといって、心底、そうなのかは怪しい。
自覚できる範囲で言っているだけで、本当のところは、簡単に言葉におろして表せるものではないと私は思っている。

人は、言葉でいかようにも繕い、体裁を整え、自分すらごまかしていることが多い。言葉にするために頭で考え、辻褄合わせをするからだ。
だから、私は頭で考えたくない。
頭で考えずにどこで考えるのか?
考えるのは頭であるに違いないが、頭より正直なのは体だ。説明がつこうがつくまいが、体で感じることを等閑にしてはいけない。
たまには、足にまかせて歩いてみるといい。

足の向くほうへ歩く。
そう決めて歩くと、最近は木のあるほうへと足が向く。
足にまかせてたどり着く場所には、目立って大きな木が一本、腕を広げ、無言で空を指している。