2005-12-22

サンタの仕業




「クリスマスには何が欲しい?」
そう訊かれても、欲しい物など浮かばない。
子どもの頃からそうだった。

「クリスマスに何が欲しいの?」
「うーん……」
考えてはみるものの欲しい物が出てこない。
そりゃあ、オモチャ屋さんやデパートに行けば、そそられる物はいくらでもあっただろう。だけど、あらためて「欲しい物」を尋ねられて思い浮かばないのなら、それらはあってもなくても、どーでもいい物に違いない。

クリスマスの朝、「欲しい物」が分からない娘の枕元には、それなりに喜ぶプレゼントが二つ置いてあった。
父親から一つ、母親から一つ。

幼稚園にあがる前から、二つのプレゼントはサンタクロースが持ってきたのではないことは分かっていた。
父も母も、それらが「自分たちからのプレゼント」とは言わなかったし、「サンタさんから」とも言わなかったが。
一度、「どっちがお父さんので、どっちがお母さんの?」と尋ねたことがある。
母の返事は、ぼやけ過ぎていて言葉の欠片も思い出せないほど、うやむやだった。

今にして思えば野暮な質問をしたものだ。
両親が贈ってくれた物ではあるけれど、サンタさんが直接プレゼントを持ってきたのではないにしろ、それらは「クリスマスがくれるプレゼント」なのだ。

小学校にあがる前の年も、母はお約束のように尋ねた。
「クリスマスには何が欲しい?」

「妹!」
この年は、間髪いれずにはっきりと答えた。考える間もなく口から出た。
その頃、なかなか届かない荷物を「まだあ?」とせがむように、“妹、妹”と思っていた記憶がある。

クリスマスの朝、目が覚めると、枕元にはピンクに頬を染めた薔薇の花のような赤ん坊が置かれていた。
ということはなく、例年通り二つのプレゼントが置いてあった。
包みを開けると、中から赤ん坊が!ということもなかった。

だが、翌年のクリスマス、待ち望んだプレゼントは、ちゃんと身近に届けられていた。
「お姉ちゃんになるんだよ」
母からそう告げられたのは、クリスマス・ソングがあちこちに溢れ出すちょっと前のことだったと思うが、わたしの頭の中では、早々とジングルベルが鳴り始めていた。
「男の子か女の子か、まだ分からない」と母は言ったけれど、わたしには“妹”としか考えられなかった。考えるまでもなく“妹”に決まっていたのだ。その証拠に、妹がいる。

枕元にプレゼントという儀式がなくなったのは、妹が生まれた年からだったかもしれない。
プレゼントは何かしらあったと思うが、もらった物の記憶はない。

妹は、わたしが初めて知った「サンタの仕業」である。
「クリスマスがくれたプレゼント」というわけだ。

「クリスマスに何が欲しい?」
そう訊かれても、特別に欲しい物は思い浮かばない。
ただ、わたしがクリスマスに心躍らせるのは、この時期、予期せぬ出来事がやってくると信じているからだ。
「サンタの仕業」と思わせる出来事。
サンタにせがんだりはしないけれど、起こってみれば、心のどこかで望んでいたことを知る。